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2005/01/18

阪神大震災 10年プラス1日

 昨日は、阪神大震災後10年目の日、テレビやラジオは1日防災関係の特別番組を放送していました。この時期、一番思い出すのは、自分の罹災経験です。

DSCF0056
枕の下には、常時ミニマグライトとナイフが入っています。(真っ暗でも手探りで探せます)

とは言え、自分の経験した最も規模の大きい地震は、昭和53年の宮城県沖地震。まだ小学校低学年の頃の話です。

その日(17時14分頃)、私は自転車で近所の神社の参道の様な細い道を走っていました。
突然、平衡感覚が無くなり、自転車を降りたのですが、立ってられません。
数メートル離れた所で、大学生位の数人組が矢張り立っていられずスクラムを組んだ様な状態に固まっていたので、自分もそちらへ這っていきました。その時、右側の民家の中でおばあさんがへたり込む姿と、タンスの引き出しがピュンピュン飛び出す姿が脳裏に焼き付いています。大人のスクラムの中に入れてもらった記憶は有りますが、とにかく夢中で何がなんだか判らない状態。15秒位の時間が5分位に感じられました。

揺れが収まった後、とにかく家に向かったのですが、途中、神社の石の鳥居がくずれており、そのすぐ側でおばあさんが腰を抜かしている姿(あとちょっとずれてたら下敷きでした)を覚えているだけで、あとは夢中で走ったんだと思います。(この間の記憶が完全に抜け落ちている)
家の中は滅茶苦茶で、電気は着かずガスも出ない。水道は赤錆色の水を母が風呂桶に溜めているのを見ましたが、直ぐに断水。
母は、お前は死んじゃったと思ったと、後に言われました。
その後、父も兄も無事に帰ってきて、ひとまず一家全員無事だと判りました。
真っ暗な夜でしたが、幸い大家さんの家に井戸が有った為、飲み水の心配は有りませんでした。その夜は井戸水とたき火(大家さんちはあの頃、庭のドラム缶でしょっちゅうゴミを燃やしていたよなぁ....)でご飯を炊いて食べられたので、取り合えず寝られる様にした寝室で、ロウソクの光の中眠ったのですが、震度4位の余震が何度も有り、天井の蛍光灯が凄い勢いで揺れ、割れそうだった記憶が残っています。(どうせ電気が着かないんだから外せば良かったのに)
余震は、その後1ヶ月位頻繁に続き、段々平穏な状態に戻って行きましたが、あの頃の地震に対する感覚は、もう一生体から抜けないと思います。

なので、枕の下の懐中電灯とナイフ以外にも、有る程度の物資は分散して準備しています。
(実際、あの揺れの中、非常用持ち出し袋を持って逃げるなんて不可能だと思うんで....)
食料に関しては、家の中を見回すだけで、備蓄食料になりうる物は多数存在してますが、マンション倒壊なんて事になったら取り出す事は不可能だよなぁ。
車の中は、かなり有効な備蓄倉庫だと思いますが、夏の高温でも平気な物じゃ無いといけないので品物は結構限定されます。キャンプ用品の類いを車内に常備しとくだけでも、かなり有効なのではないかと......(そい言って、車内のガラクタが増えいく......)
ま、何にせよ、災害は何時おきても不思議では無いので、日頃の意識が大事でなのですね。

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